高砂を調べてきた(再調査編)

2025/12/9(火)。夏場の朝食はサラダと玉子と炭水化物なんですが、それでは体が温もらないのでサラダを野菜のお味噌汁に変更です。あと、MUJIの冷凍おにぎりと昆布の佃煮。あと、ゆで卵に梅びしお、ブルーベリーとヨーグルトが日常になりました。右上はイヌリンの白湯です。

今日もいい天気。近所の郵便局でハガキ投函。サンタの帽子や顔がついていた。

そして今日のお散歩は高砂です。自宅から下道で1時間ぐらいの播磨地方です。高砂駅前の商店街はすっかりシャッター街ですが、よくここまで昭和のまんま残っているなぁ。わりと感動ものです。

レトロなビルもそのまま。

入口。

反対側はJR高砂線の高砂駅跡です。跡なんです。もともと加古川駅から高砂港までを結んでいたローカル線があったのですが、1984年に廃線となりました。まだ軌道を思わせる風景や沿線の古い建物は残っています。

つづきまして高砂神社。相生の松(あいおいのまつ)が有名です。雌株・雄株の2本の松が寄り添って生え、1つ根から立ち上がるように見えるものだそうです。

枯れてしまった昔のそれは屋内で保護されています。

現在の相生の松です。5代目。

高砂は能の世界ですよね。これが能舞台。そしてそこで歌われる「たぁかぁさぁごやぁー」のあれです。筆頭祝言曲というらしい。我々の結婚式でも上司の園田さんが歌ってくれたなぁ。なつかしありがたい。

『高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉(すみのえ)に着きにけり、はや住吉に着きにけり』

高砂は江戸時代、播磨灘の海運の要衝として、さらに御用蔵を設けた藩の拠点都市として繁栄していったそうです。

これが高砂歴史地区の見取り図です。

これが運河の荷揚場ですかね。

ここ出身の工楽松右衛門という人が高砂を拠点に海運業や港湾改修などを広く手掛けられました。そしてこれが工楽家旧宅です。

古い船を解体してその部材で作られた家なんだそうです。確かに船のハルの部分が壁になっていることがわかります。

運河は今でも活用されていますね。なかなか味わい深い風景です。

花井家住宅です。明治時代のもので、肥料問屋さんだったそう。

稲荷橋をさっそうと歩くママ。

マンホールは相生の松っすね。

町家造りの古い金物屋。煙突そうじ器が気になって仕方がないママ。

夕飯は塩鮭でございました。定年後はこんな日々を過ごしております。ちなみにランチはいただいておりません。

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